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『花燃ゆ』の『小田村伊之助』宛書簡

公開日: : 最終更新日:2015/01/19 素浪人 混迷の日々

大河ドラマ『花燃ゆ』のヒロイン「ふみ」の二番目の夫「小田村伊之助(楫取素彦)」に宛てられた書簡。差出人は徳山藩士「江村彦之進」。

江村彦之進は元治元年8月12日、俗論派(幕府恭順派)により殺害される。徳山殉難七士のひとりである。文中に出てくる本城清は実の兄である。彼もまた、俗論派の刃に掛かり殺害された徳山殉難七士のひとりである。
書簡は、高杉晋作、久坂玄瑞らによって行われた英国公使館焼き討ち事件の一ヶ月前頃か・・・。彦之進が亡くなる二年前である。

また、翌元治2年(1865)1月、本城清のほか、信田作太夫、浅見安之丞が殺害され、殉難者は七人となったわけだが、以来、数えて今年は150年である。是非、慰霊祭を行いたいと思う次第である。

 

江村彦之進 小田村伊之助(楫取素彦)宛書簡  文久二年十一月頃

一、宗藩人常に軽蔑致し候と申事

一、宗藩より何そ困窮いたし候へは手を下け頼候と思い候事

一、廣家公以来何を申しても宗藩には真に用ひ候心は無之と思ひ候事

一、宗藩にて岩人を 取扱候に御三末士人眼前にて面目無之扱振り多く口惜しと申事

一、右の廉々胸中盤結致し候故宗藩より何を申掛候ても軽く食ひ付き後悔致間敷と思ひ居候事

一、右之通故宗藩人と接候には必正々堂々と礼節を失不申様にと致して掛り可申故親密家人之禮之如く不成候義専一と存候

一、岩人自ら富強にて天下之変を待と申事定説之様相見候事

一、岩人 朝廷にも御手を不被為出方却て宜敷戊午覆鞭御戒可被成と申説も有之様相見候事

一、先つ書生五六人も出し形勢を實見致せ候事第一策と被考候事

一、大阪より広島一六船又は三八船又は五十船江御乗船被成広島御着之夜岩國番船にて(代一人前七十二文)新港御着五十丁二里岩国江御出之方然候

広島便船は一人前金一歩一朱に候尤飯代込なり

自然一艘雇切りに致し候へは新港迄金四両三歩位之由に候

一、新港より先達て人を岩国江御遣し町役處江御案内御旅宿御頼被成候義御都合と存候

新港よりは人足雇立にて候

一、岩国より徳山迄十一里一日程に御出脇本陣中村屋江御止宿可被成候

一、徳山より小郡江十二里一日程

但徳山又は福川富海より長府迄舟も御座候

一、小郡より長府迄十里位一日程

一、徳山御出之上京都形勢詳に御咄被下度存知候且益田大夫前田君敞邑一事に付御周旋御配意之段真蜜愚兄両人並井上阿兵衛江も御咄被成候て宜敷但小生周旋仕り 貴兄様ご配意之段は本城清之外江は御咄被下間敷様奉頼候萬事陰微之中に挽回肝要と存知候義御座候

一、小生書状愚兄江遺し候分徳山御止宿に御座候へは御着之上直様宿屋主人を以御遣可被下自然遠石より舟にて富海か長府迄も御越に候へは遠石町役所江御頼置被下候様奉頼候

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