福間家について
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最終更新日:2014/09/21
素浪人 混迷の日々
萩本藩淡路守福間元道は毛利輝元二男就隆(徳山藩初代藩主)の傳役を務め、徳山毛利家に移った。その際、長男就辰のみを萩に残し、二男を連れ徳山に移った。三、四、五男は徳山で生まれ、以後、現代まで徳山を故郷とし徳山福間家は栄えてきた。今回、お会いした福間壌(ゆたか)氏は福間二男(隆治)系の第15代である。また、梅田守氏は旧姓福間元辰(もとのぶ)で福間五男(隆廉)系の第12代にあたる。両氏とも現在は会社経営をなされ東京在住である。萩に残った元道の長男就辰は、東京大学大学院、並びに東京大学史料編纂所の教授山本博文著『江戸お留守居役の日記』-講談社学術文庫- の主人公福間彦右衛門のことである。この本は史実に忠実に記され、本藩、支藩の関係として徳山藩のことにも触れている。
福間家の系譜は、徳山藩HPの家臣の一族一覧表に記しているので参考にして下さい。この系譜は福間壌氏、梅田守氏を中心に40年かけて作られた福間家家譜を参考にさせていただきました。大部分が生年月日まで明らかになっており実によく調査され、完成された家譜です。
梅田守氏は昨年、徳山の福間家に、蔵に眠ったままの刀等を修復されるため、来られた。その際、お手伝いをさせてもらったのが縁である。今回、その一部が完成したということで刀匠とともに徳山に来られ、縁あって、先日投稿した食事会となった訳である。本日は修復される前の刀剣類の写真を紹介する。