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粟屋元相

粟屋元相 [1556-1630]
肥前守 豊後守 杢允 左太郎 梅庵宗香 戒名/松林院秀誉梅庵宗香居士
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。毛利氏の譜代家臣。

萩宗藩(毛利輝元長男秀就初代藩主)譜代家臣である粟屋就方の長男。弘治2年(1556)生まれ。
慶長8年(1603)前年に生まれた毛利就隆の傅役とされ、翌、慶長9年(1604)には御抱守側用人として就隆に付けられた。
元和3年(1617)萩宗藩秀就より弟就隆に下松の地三万石を分地される。
輝元は分封と同時に、就隆側役である元相の内申により、宗藩の桂美作と神村豊後を付家老とした。両人と元相3人が最初の支藩家老職となり、三家は宗藩の家禄を嫡子に譲り、徳山藩に移った。
元和6年(1620)隠居、幼少の頃から就隆に仕えていた長男隆方が家督し、500石の知行を継いだ。二男元智は宗藩の元相隠居跡を継ぎ萩家来となった。三男清右衛門は一時元相の養子になったが、後、萩家来として新知別家した。四男隆良は寛永6年(1629)新知別家し、徳山藩に出仕した。父元相死後、母を引き取った。五男正兵衛政宣も同様徳山藩に出仕した。

粟屋元相家14代に粟屋武虎がいる。武虎は徳山毛利家10代毛利元功の六男で、母は越前丸岡藩主有馬道純の娘鈺子である。その孫にあたる16代粟屋孝紀氏が現粟屋家当主で、各地に散らばり不明の先祖墓碑を探し、令和4年(2022)菩提寺福田寺境内に引き取り、新たに墓所を広げ法要された。(二代目、三代目の墓碑は興元寺にある)(毛利歴史チャンネル 粟屋孝紀

元相は、寛永7年(1630)5月14日萩にて死去。享年75。妻は萩家来蔵田豊後守娘、徳山で没した。

粟屋家墓所<2022年11月素浪人撮影>

粟屋家 (2)縮粟屋家 (1)縮


公開日:
最終更新日:2024/04/28

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