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朝倉等泉

朝倉等泉 [1737-1767]
朝倉家は代々徳山藩御用絵師として仕えた。等泉はその三代目。等月こと朝倉友信の長男、母は八代村徳永瀬左衛門の娘。
諱は友明、通称甚八、助右衛門、号は等栄、等泉。
雲谷派の雲谷等徴に師事。宝暦8年(1758)3月27日等月の二男忠次がお咎めを受け野島に遠島。それにより父等月家柄断絶。浪人となり等泉は桜井春祥と名乗り櫛ケ浜へ移り住んだ。
明和3年(1766)12月15日再興を許され、徳山藩絵師として出仕、姓も朝倉姓に戻り三人扶持を下されたが、翌、明和4年(1767)7月11日31歳の若さで没した。戒名山水軒常菴等栄大徳。
令和4年(2022)11月、周南市営泉原墓地朝倉家墓所墓仕舞。朝倉等収南陵震陵の墓碑は福田寺へ、朝倉家最後の当主朝倉喜作氏建立の「朝倉家之墓」は光市へ移設された。

朝倉等泉墓碑
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公開日:
最終更新日:2024/04/28

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