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朝倉等収

朝倉等収 [1668-1741]
諱は繁経、名は初め安左衛門、後、享。通称等収。
等収は表具師として徳山藩に仕えていた鳥野是定の長男。
等収も家業を表具師、絵師としていたが、貞享2年(1685)細工人として徳山藩に出仕。15石二人扶持。
享保5年(1720)鳥野から朝倉と改姓、朝倉家初代となる。
妻は阿武善之丞春之の娘。長男は二代目朝倉等月。四代目に阿武家から養子に入った朝倉南陵が出た。

雲谷派雲谷等恕に師事。
享保6年(1721)、長男等月と「御領地並海上嶋々大絵図12枚」を描いた。
(山口県文書館蔵)

IMG_4314縮
IMG_8063朝倉家「譜録」より 山口県文書館蔵

朝倉墓碑福田寺縮周南市営泉原共同墓地にあった朝倉家墓所は、朝倉家本家家督が途切れた為、朝倉家末裔により令和4年墓仕舞された。
その際、周南市金砂山福田寺住職のご厚意により、墓碑保存の為福田寺境内に移設が許され、郷土史家有志により3基ほど無事移設することができた。
右より 初代等収、四代目南陵、五代目震陵の墓碑。


公開日:
最終更新日:2024/05/02

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