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朝倉震陵

徳山藩お抱え絵師・朝倉南陵の三男直逞、通称牧太。諱は等璘。奇石軒、震山とも号した。徳山藩25石中小姓・絵師である。

幼時、父南陵の指導を受けたが、文化14年(1817)20歳で、萩の雲谷等徽に雲谷派の画風を学ぶ。文政2年(1819)22歳の時、更に画を学ぶため江戸に上り、谷文晁の門に苦学すること7年に及んだ。 文政4年(1821)、江戸の伊能忠敬の家に都濃郡図の写し取りに赴いている。天保2年(1831)に家督を継ぎ、天保11年大成寺で出家。父に代わって画を以て仕えた。花鳥・人物・山水に多くの作品を残しており、特に山水に優れていたとされる。明治4年(1871)11月29日没した。74歳。

朝倉震陵山水画朝倉震陵 山水画 周南市立中央図書館蔵

朝倉震陵老幹入雲図朝倉震陵 老幹入雲図 周南市立中央図書館蔵

朝倉震陵 縮周南市営泉原共同墓地(令和4年墓仕舞)現在福田寺境内移設


公開日:
最終更新日:2024/03/05

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