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「五卿登陸處」の石碑について

公開日: : 最終更新日:2015/02/02 素浪人 混迷の日々

喜右衛門さんから「五卿登陸處」の石碑についてコメントをいただいた。(トップページを参照あれ)

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周南市教育委員会の石碑紹介文
文久3年(1863)の「八・一八政変」後、勤王派の7人の公卿が京都を追われ、3隻の船に分乗して兵庫を船出して長州に向かった。1番船には三条実美、2番船には三条西季知・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳、3番船には東久世通禧・沢宣嘉が乗り込んだ。3隻とも三田尻まで直行する予定だったが、嵐のために3番船はかろうじて目的地についたものの、1番船と2番船は笠戸に1泊し、翌日に徳山の東浜崎に上陸し、陸路を三田尻に向かった。この五卿が東浜崎に上陸したことを記念し、上陸地点(旧東浜崎)の近くに、大正2年(1913)に道源権治により「五卿登陸處」の石碑が建立された。激動する幕末・維新の歴史を物語る大変貴重な史跡である。

お気づきかと思いますが、七卿の都落ちは、「八・一八政変」直後の出来事です。石碑には「禁門の変」と書かれています。「禁門の変」は翌元治元年7月の出来事でした。どうも間違って書かれたようです。それとは別に、いろいろな説があることは気づいておりましたが、その一説を紹介します。三条実美公に仕え、七卿落ちの時、随行した尾崎三良の自叙伝より抜粋します。まさに三条実美公の傍から離れなかった近侍の話しです。

『尾崎三良自叙略伝 上巻』 文久三年八月の急変 より

8月17日に公及び其他の諸公卿例の如く参朝、会議の後、散会して各其邸に帰られたり。其夜にわかに宮門戒厳、18日の朝に至り公及び其他の公卿、近日国事に関係せし人々俄かに参朝を停められ、長州藩は宮門の警衛を免ぜられ、其兵士は宮門に入ることを禁ぜらる。之によりて宮城の内外、人馬奔走し兵仗相連なり、忽ち騒擾の巷となれり。事の原因を尋ぬるに、大和行幸の事、其幕府かたの有司之を聞知し、殊に守護職松平肥後守容保ひそかに中川宮及び薩摩藩と相結託して、公等及び長州藩を退けんと計る。(中略)此に於いて長州藩其他有志の諸藩士と徹夜、将来の事に就き謀議を凝すと雖も之という良き謀も無し。(中略)遂に長州人の勧めにより、一先ず長州へ落ち延び後図を為すことに決し、翌19日未明大仏を退去し竹田街道より長州に下らんとす。長州人久坂玄瑞歌って曰く(長いので省略)19日未明、雨さえショボショボ降りて惨憺たる状態なり。皆衣冠を脱ぎ捨て、公及び三条西卿は八ッ藤取だすきの袴に白綸子の着物なり。東久世朝臣以下は皆殿上人なれば、白羽二重の着物に紫のねり絹の袴を穿ち藁の蓑笠を着たり。予等従者は単羽織、草鞋をはくもあり又は徒跣もあり、雨降れども傘もなくズブ濡れのまま歩行す。其他長州人の兵士並びに土州人、肥後人、久留米人等、公の護衛の有志者数十人あり。其時の風装は各々異様にして腹巻甲冑もあり、筒袖陣羽織抜身の鎗を提げたる者もあり。雨中の竹田街道をスゴスゴと七卿も草鞋がけにて山崎辺まで行きたる所、三条公の足甲より血流れ見るもいたいたしく、此状態にてはとても歩行は難しとて、宿籠を探し七卿だけを之に乗せる所、之をかく人足は居らず、是は扮装の異様なるに恐れ、皆逃げてしまい一人も居らぬ。漸く其辺の百姓を拉し来りたれども恐れて逃げんとするのを、抜刀にておどし付けて之を担がせた。何分此扮装では、茶店にて休んでも皆逃げて茶一杯を飲むこともならず、そこで抜身を納め甲冑を脱ぎたるも之を道に捨置く事もならず、百姓家から米俵を持来り之に甲冑を包み背負うたる所、其俵のすき目より甲冑の縅がチラチラ見えるので猶更逃げて来らず。芥川で一泊、翌日兵庫に着、此所より海路西行長州に向かう。およそ百五十石の漁船なり。之に同乗する者、公及び真木和泉守(有馬水天宮の神主)、水野丹後(久留米藩)(中略)長州の藩士等二、三十名及び予なり。(中略)27日、舟徳山に着す。三条西以下の舟と相失し、公独り徳山に上陸す。徳山に於いて昼食を喫し、夜を冒して三田尻に至る。夜半、三田尻に着す。時に勅使正親町少将公董朝臣、長州の攘夷軍を監視且つ慰労として下向あり、三田尻の別館にあり。公先ず此館に投宿す。是は三田尻の御茶屋と称し、藩侯の別館なり。三条西以下六卿すでに当館に着せり。依って当分此に逗留することとなる。

本編はまだまだ続きますが、五卿登陸はこれにて終わります。ユーモアがあって読んでて飽きませんよ。

コメントを下さった喜右衛門さん(失礼、村井さんです)は村井喜右衛門の末裔です。トップ頁の「まるごと周南にみる徳山藩」から「2011.5月号巨船サルベージに成功 村井喜右衛門」をご覧ください。

 

 

 

 

Comment

  1. 村井洋一 より:

    素浪人さん、ありがとうございました。いや~、勉強になります。このところ歴史探訪から離れて音楽(ジャズ)に40年くらい前を回顧していましたので、お礼の言葉が遅くなって御免なさい。

    • 素浪人 素浪人 より:

      ジャズですか。いいですね。
      僕は素人ですが、興味があります。
      地橙孫顕彰会のサックス奏者T氏にジャズのCDをもらったりしていますが・・・
      喜右衛門さん!是非、いろいろ教えて下さい!

      • 村井洋一 より:

        素浪人さん
        申し訳ありません。閲覧をさぼっていました。ジャズへ復帰したきっかけは、銀座の渡辺カメラ店浅原さんがレコードを掛けるといいですよ、言われたことです。物置から出して掛けてみますと、擦過音の入ったそりゃあ懐かしい音に嬉しくなりました。ちょうどそのころ徳山モダンジャズクラブがCDレコード鑑賞の会を催していて出かけていきました。七月は十九日です。周南市栄町のJazz&Coffee「道」で午後2時から「ジャズフェスチバルのライブ盤を聴く」をテーマに開かれます。世話人、杉原茂樹さん090-7895-9022です。

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