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与謝野鉄幹歌碑

与謝野鉄幹 [1873-1935]
歌人
明治22年(1889)西本願寺で得度の後、兄赤松照憧(徳応寺住職)を頼って徳山へ
徳応寺経営の徳山女学校の教員となる
徳応寺布教機関紙『山口県積善会雑誌』を編集
徳山女学校生徒浅田信子(徳山実業家浅田義一郎娘)と問題を起こし退職
その後、同校生徒林滝野と再婚
滝野は雑誌『明星』の編集者の一人として尽力
長男萃(あつむ)が誕生するも、鳳晶子と関係ができた鉄幹に愛想をつかし離婚
その後、鉄幹は晶子と生涯を共にした

鉄幹にとって青春の思い出多い徳山の地である
この歌碑は昭和38年(1963)蛇島に建立されたが、その後、昭和46年(1971)現在地太華山山頂付近に移設された
歌は昭和9年(1934)、鉄幹が63歳の時、徳山鉄板(株)の社歌を依頼された折り、詠んだ歌である

『彼のあたり二十の前の我を知る蛇(さ)島仙島黒髪の島』

書は作家の佐藤春夫の揮毫である
<2013年9月 素浪人撮影>

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