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井上唯一

井上唯一 [1842-1864]
諱和暢 和彦 政英 假名郡太 初喜一郎 安祐 荒之進 彦太郎 藤太郎 号雪崖
藩士20石徒士井上栄尚六男(or七男) 母井上敬茂娘

俗論派が台頭すると正義派として復権をめざし活動。元治元年(1864)8月9日、俗論派のリーダー的存在だった家老の富山源次郎の暗殺を企て、河田佳蔵がひとり富山の屋敷を訪れ源次郎を襲撃、一撃を浴びせるものの、暗殺計画は失敗に終わってしまった。この事件により正義派七名が暗殺や、処刑されることとなった。
元治元年(1864)8月14日以降、度々俗論派主導により糾問される。その模様は『有志詰問録』として『徳山市史史料 中』に掲載されている。

元治元年(1864)10月24日刑死 享年23
徳山八正寺葬られるも、墓仕舞(後裔談ずるを素浪人聞く)により今はない。

殉難七士(唯一説明あり)のひとり

唯一屋敷跡地


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毛利就慶氏のFacebookより。 よく似合って、カッコいいですね‼

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