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黒神直民

黒神直民 [1794-1874]
幼名民之丞 諱直民 通称織江 仲亮 直方 直敬 相模介
号は多く桜之舎 雪崖 個堂 松庵 綱堂 棟(洞)庵 雪(香)山居士 瑞翁他
寛政6年(1794)12月徳山に生まれる
遠石八幡宮宮司

文化3年(1806)わずか13歳で神職の家系を継いだが、文化11年(1814)立志、故郷の徳山を後にして上京苦学、文政3年(1820)帰国した。
国書に精通しその碩儒の名声は防長の空に響き渡っていた。その為、防長二州はもとより全国からその名声を慕って直民の講学堂に多大の人々が集まった。
徳山藩主は度々呼び寄せ進講させた。万延元年(1860)には宗藩主に招聘され、後には凝成館学頭に推されたが、直民はすべて断った。
文久3年(1863)には萩藩の命により山口に於いて世子の為に、あるいは明倫館において講学したこともあった。明倫館においては聴衆1700人と言われている。
慶応元年(1865)2月、遠石八幡宮宮司に任じられた。
著書に『大道通(理)論』『鬼神論』他。
徳山藩士古志小源太(福田寺)、杉浦次郎左衛門順之(無量寺)など、漢文の墓碑文は有名。
正6位。明治7年(1874)3月11日没した。享年81。

長男は直臣。
天保6年(1835)11月20日徳山に生まれ、明治15年(1882)7月31日没する。
家業を継ぎ遠石八幡宮宮司。
百樹 美作 茂樹 剛亭と名乗る。
靖国神社社官、賀茂神社少宮司兼大講義を勤める。
著書に『神代記新解』『箋註続蒙求校本三巻』他。

墓碑は周南市営泉原共同墓地内黒神家墓所
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IMG_4792縮2024.04素浪人撮影


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