矢嶋作郎植樹の石碑
<矢嶋作郎は「徳山藩ゆかりの偉人」を参照>
明治25年、当時、現在の動物園内にあった祐綏神社に、矢嶋作郎は高野槇を一本、栂を二本植樹した。その後、昭和の戦災で祐綏神社は焼失したため、現在の位置に建て替えられた。その時、矢嶋の石碑も移された。
平成23年3月21日、矢嶋の末裔により、矢嶋作郎没後百年の記念植樹祭がとりおこなわれた。奇しくも、同年3月11日東北地方太平洋沖地震が発生。矢嶋の興した東京電力が、未曽有の大惨事を起こしたが、植樹祭の計画は、その数か月前からたてられており、故人の法要でもあることから計画通り実施することとなった。当日は、雨天にもかかわらず約百名の理解者の出席を賜り、黙祷の後、挙行された。
矢嶋は東京電燈社長時代、帝国議事堂が火災に遭い、漏電の疑いを掛けられ反論、裁判を起こしたが、結局、役員一同と共に総辞職をしている。まだ、電気がよく理解されていない時代のことで、その後、皇居をはじめ一斉に電気の解約がおこり、東京電燈が倒産寸前まで追い詰められたことがあった。
矢嶋が亡くなってちょうど百年目の植樹祭、突然の大惨事に因縁を感じるとともに、矢嶋が警鐘を鳴らしたのではないかと思われる植樹祭であった。
矢嶋の末裔は、没後百年記念植樹として、作郎の植えた木と同じ高野槇を一本、栂を二本石碑の傍に植樹した。あわせて、桜三本を神社境内に植樹した。
動物園の中に、現在、栂の大木が一本そびえている。まさに祐綏神社があったあたりである。矢嶋の植えた木が残っていたのであろうか?真偽のほどはわからない。
石灯籠の前の3本が矢嶋作郎没後百年を記念し植樹した桜
徳山動物園内の中央あたり、毛利元次公で有名な遥拝石のすぐ側にある栂の老木
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最終更新日:2014/08/17