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石荘和尚

大成寺住職 石荘和尚 [生没年不明]
宇和島伊達家菩提寺大隆寺 晦巌和尚[1798-1872(1855隠居)]弟子
宇和島選仏寺住職

長州周旋に尽力、勤王の外交僧石荘和尚
元冶元年(1864)七月、長州藩は禁門の変により朝敵となり、第一次長州征伐がおこる。幕府の命により宇和島藩は周旋役となり、龍華山等覚寺十五世清崖を正使、金剛山大隆寺隠居晦巖を副使として徳山藩に遣わし、大成寺にて論議された。清崖は徳山藩士生田森衛の弟で大成寺に住したこともあり、大成寺で得度、蔵主恵淳と号した。しかし、この二僧による周旋はならず、宇和島帰藩。その後、長州藩を代表して徳山藩から宇和島藩に使者が遣わされた。徳山藩士桜井龍右衛門、同飯田信、そして大成寺住職石荘恵璉である。石荘和尚は本使として徳山藩主元蕃の書状を託されていた。宇和島藩の重要港である三机の地での会談は七度にも及んだが、石荘和尚は常に徳山藩の外交僧として大役を果たした。
『徳山藩毛利家菩提寺 般若山大成寺の歴史』より

宇和島伊達家文書に「石荘応対覚書」「淡路公(元蕃)石荘へ機密話」等が遺されている。


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毛利就慶氏のFacebookより。 よく似合って、カッコいいですね‼

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