*

田村耕雲

田村耕雲(1806 - 1888)
本名田村義明。忠太、明、與十郎、竹里館、雪和他。

徳山藩士。俳人。画家。父は田村権太夫義文。権太夫は藩主毛利元蕃に輿入りした長州十代藩主毛利斉熙の三女八重姫の入輿御用掛を仰せ付かっている。

耕雲は文武に優れ、俳人として美濃派系統を継いだ建咲院十八世其山坊の三代目として活躍。武道では槍術の長浜左司馬より大島流槍術を伝授され、信田作太夫や浅見安之丞らと頭角を現した。音楽にも才能を発揮したという。明治元年(1868)、御世帯方を蔵本と改称、馬廻格両人役次席蔵本頭人役を仰せ付かっている。

長男義方は児玉源太郎と同期で、中央での活躍を期待されたが、父母の膝下にあり、故郷離れがたく、凌雲の志を抑え、銀行員の傍ら、明治の徳山の町に西洋雑貨店を開いたという。

墓所は金砂山福田寺にあったが、近年、田村家の家督が途絶えた事により耕雲の大きな自然石の墓碑は砕かれ、一族の墓とともに墓仕舞いされた。その後、末裔の方が、木箱に収められた田村家の家譜を福田寺に寄贈された。戒名大叢軒知竹耕雲居士。

「竹ヲ画カキ有名ナリシハ田村耕雲先生ナリ」
藩史研究家兼﨑茂樹著『徳山名士墳墓掃苔録』より

田村耕雲書「墨竹を描いて風韻漂々」と評されている 周南市立中央図書館蔵

田村耕雲墓碑耕雲田村翁墓 周南市金砂山福田寺(令和3年頃撤去)


公開日:

no image
徳山毛利家14代就慶氏舞台デビュー!

毛利就慶氏のFacebookより。 よく似合って、カッコいいですね‼

→もっと見る

  • info@tokuyamahan.com
PAGE TOP ↑