児玉将軍旧邸・勤王七士之碑
児玉将軍旧邸
児玉家が家名断絶後、再興を許され、改めて屋敷を与えられた場所。
勤王七士之碑
元治元年(1864)禁門の変の直後、徳山藩では富山源次郎を中心とする俗論派と河田佳蔵を中心とする正義派が激しく対立していた。
この年の8月9日夜、正義派の10数人は俗論派の藩士の住居を襲い、これをきっかけとして俗論派は正義派の7人を捕え処刑した。これを徳山藩の殉難七士という。
七士とは河田佳蔵、児玉次郎彦、本城清、江村彦之進、浅見安之丞、信田作太夫、井上唯一である。
七士殉難の後、徳山藩では俗論派の勢力が衰え、正義派の時代となり、やがて殉難七士の家は復興された。
(周南市教育委員会)
この二つの石碑は児玉町・児玉神社前の「タイワンゴヨウマツ」のそばに建っている。
平成27年9月、児玉神社隣にあった商業施設が閉鎖され、駐車場となった。
それに伴い、児玉神社敷地内が整備され、児玉大将の石碑等が
よりきれいになり、威厳を放つようになった。
また、同年9月27日、『殉難150年 徳山七士慰霊祭』が盛大に開催され、
見事なタイミングで『七士の碑』の立札も設置された。
以下、新しくなった児玉神社まわり。
児玉神社西口に、立札と共に二つの碑が並べられた。 2015.9
公開日:
最終更新日:2017/05/26