真田一族が徳山に住んでいた!
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素浪人 混迷の日々
周南市櫛ヶ浜の原江寺に『幸村幸晴君夫婦之墳』と書かれた明治32年建立の石碑がある。
真田幸村と関係があるのではと、櫛ヶ浜郷土史会長の村井洋一さんや、郷土史会会員河村康夫さんが調査に奮闘中である。
私が調べた譜録にも、幸村と関係する史料が出てきた。
徳山藩に吉村家・河村家があった。
徳山藩第三代藩主毛利元次公の時代に、召し抱えられた吉村通幸は50石馬廻役、外科医。
同じく河村幸成は15石の持弓であったが、それぞれの先祖は、正に『真田丸』の真田幸村である。と!
山口県文書館に保存されている毛利徳山藩の吉村家・河村家の譜録(文化5年(1808)提出)に記載されている。
『家臣』の項目徳山藩士一族一覧表2016.05.30の14ページ及び45ページを参照されたし!
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素浪人さん、ありがとうございます!しどろもどろに喋った真田幸晴の事跡が見事にわかりやすい記事にされて、記者さんに感謝しています。