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明和・天明の事件と毛利就馴

公開日: : 素浪人 混迷の日々

本日5日(土)13時半より、周南市の学び・交流プラザにおいて新南陽郷土史会主催の講演がありました。

講演:「明和・天明の事件と毛利就馴 ―館蔵資料から事件を読む―」
講師:吉田真夫 先生(山口県文書館 専門研究員)

講師の吉田先生には山口文書館でいつもお世話になっています。
今回は、山口県文書館が収蔵する貴重な史料(毛利家文庫・徳山毛利家文庫)に基づいて、徳山藩七代藩主・就馴の時代に起きた事件の解説でした。

藩主毛利就馴は下情に通じ、士民を愛し、家老奈古屋蔵人を重用して庶政に治績を挙げたと、徳山市史にあります。
他に愛すべきエピソードがたくさんあります。
ところが本日の講演はまったく違った一面の初めて聞く話しでした。
文書を紐解けば、いい事も悪い事もすべて歴史のロマン!
就馴公の79年の生涯は、14歳で殿様になり若気の至りもあったか、決して順風満帆とはいえずご苦労もされたようです。
吉田真夫先生、楽しいお話しをありがとうございました。

と、Facebookに投稿しました。
しかし、ここは徳山藩のHP!
投稿してないことをここで明かします。

そもそもこの事件は、殿がおかしいのは取り巻きのせいだ。取り巻き7人を首にせよと本藩から命令が来たことである。

就馴公は若かりし頃、家老たちの言うことをなかなか聞かなかったようです。
暴れん坊将軍吉宗のように町に繰り出したり、また、挙動不審が目立ち、
本藩から責められた時は改心の様子を示すものの、すぐ元に戻ったり。
重用したはずの奈古屋蔵人には本藩へちくられる始末、また、家老たちから強制隠居を企まれたり。
参勤を仮病で拒否し、江戸に入っても仮病を使い登城しなかったり、と。

14歳で殿様になり、二十歳の頃、本藩から責められる。
殿様かわいそう!
そりゃあ、若い頃私もそうだった!親の言う事聞かなかったよ!

しかし、この事件は本藩の徳山藩への藩政不当介入ともいえ、藩士を愛する就馴公にとっては、何故責められるのか、誰か陥れようとしてるのではと疑心暗鬼になったようです。

生々しく記録されたことはそのあたりで終わり、就馴公は以後強制隠居されることもなく、
長く殿様をやり遂げ、隠居後は悠々自適に日を送り、79歳の高齢を以て生涯を閉じました。

吉田先生も何度も言われていました。『決して就馴公の悪口ではありません。』と。

毛利徳山藩七代藩主毛利就馴

吉田真夫1
吉田真夫2

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