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徳山藩諸隊定則

明治2年5月函館の戦いを最後として、旧幕府軍の抵抗は終わりを告げ、7月出征の諸隊は徳山に凱旋した。よって翌3年11月藩は勢屯花畑に兵塾を建設し、諸隊をここに集めて訓練を行った。当時発せられた定則は次の通りである。

 

1.学科は士官の命に従って進退すべきこと。但し検査のことは寮頭及び隊長の権限に一任する。

1.士官の命がなければ、みだりに兵書を読んではならない。

1.隊士の階級及び伍順は命の如くし、その変改を許さない。

1.土曜日の午後を器械及び諸衣服の洗濯の時間とする。但し、銃器は日々稽古に出入りするとき、必ず一度あてこれを拭うべきこと。

1.食事は必ず規定の時間に、順列に従って一斉に行い、入浴もまた必ず所定の順序によるべきこと。

1.寮内及び室内は最も清潔を主とすべきこと。

1.一分隊一人の当番をおく。但し当番は組順を以て順番に勤務すべきこと。

1.呼集の時は当番からその分隊に士官の命を伝える。当直は決してその寮を離れることなく、絶えず寮内のことに注目して、異常を発見した際には、ただちに士官へ報告すべきこと。

1.病気あるいは事故のために欠席する者は、稽古開始20分までにその理由を士官へ報告すべきこと。

1.飲酒は一切厳禁する。また自身で食物を持参することも許さない。

1.昼間は病者のほか床につくことを禁止する。

1.隊士は定刻に教授所へ出席すべく、故なくして時限に遅刻したものは処罰すべきこと。

1.要用のため外出しようとする者は、事由を士官に届け、免許札を受けて外出すべきこと。

1.寮中においては故なく互いに往来談話することを禁ずる。特に禁足を命ぜられたものは、勤務のほか庭内をも歩くことを許さず、かつ他の生徒の来会を厳禁する。

1.寝室において書見を禁止する。

1.隊士中過失が多く、また怠惰なものは寮から追放し、悔悟の実行が現れるまでは、当主は三ヵ年間勤仕を差止め、嫡子は廃嫡、二、三男は養子縁組を許さない。かつ勤仕を停止せられた場合には、その知行の二割を減ずる。

1.寮内の日課は朝五時起床、室内掃除、七時朝食、その後板木を合図に三分以内に稽古場に集合し、八時より十時まで操練、十二時昼食、午後一時より三時まで操練、夜九時消燈就寝とする。但しその間において三ッ拍子木を打ったときは、各分隊ともに当番士官のところに集合すべきこと。

1.休日は日曜日終日、水曜日の午後、土曜日の午後(洗濯日)、藩の祝日及び佳節とする。

 

明治4年6月徳山藩を廃し、山口藩へ合併せられた。ここにおいて諸隊もまた解散を命ぜられたが、献功隊の原田宰以下23名、山崎隊の河本台五郎以下55名は山口藩へ移管せられたのである。


公開日:
最終更新日:2014/02/10

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