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贈従四位兒玉次郎彦君遭難之跡

徳山藩士浅見栄三郎の二男に生れる。児玉家の嫡子源太郎が幼少の為、児玉家の養嗣子となる。体格よく、剣技、銃術に秀で、和漢の歴史に通じた。かつて国学者飯田忠彦が幕府に捕らえられ、編纂中の「大日本野史」を伏見奉行に取り上げられた時は、取り返しに行った猛者である。徳山藩においては京都留守居役、学館助訓役、寮長などに就き、将来を嘱望されたが、俗論派に自宅にて斬殺された。殉難七士の一人であり、児玉神社に碑がある。後、従四位に叙せられる。享年23歳。

石碑は児玉源太郎屋敷跡の産湯の井戸のそばに建てられている。岐山通りの『児玉源太郎生誕の地』の公園の一角。

児玉次郎彦_R

 

次郎彦児玉次郎彦

 

 

 

児玉次郎彦


公開日:
最終更新日:2016/12/14

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