贈従四位飯田先生旌功之碑
飯田忠彦は江戸時代後期の歴史家である。
「大日本史」に記録されていない、後小松天皇以降の420年間の歴史を、30年以上かけて291巻の著書「野史」に書きあらわした。
しかし、飯田忠彦は尊王攘夷派の指導者と思われ「桜田門外の変」の時に捕えられ、これに憤慨し万延元年(1860)に割腹自殺をした。時に63歳であった。
この碑は、大正2年(1913)に有志によって建てられたものである。
(周南市教育委員会)
石碑は徳山動物園の中に入ってすぐ正面に建立されている。
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最終更新日:2014/08/17