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児玉神社

大正11年(1922)12月15日、当時の徳山町の前田蕃穂外52名の有志が「県社児玉神社創立許可願」を内務大臣に提出した。

その願書には「・・・日清戦争に功あり。明治31年には台湾総督となり、政治を刷新して教化を進めて交通産業の発展に寄与した。その間陸軍大臣を、さらに内務・文部両大臣を兼務し、日露戦争においては満州軍総参謀長として、国家に尽くした忠節は多大で、等しく満天下の認めるところである。この地に児玉神社を建設し、国家守護の神として、その遺徳を後世に伝え、人心の感化に資し、もって国民の道徳の標的にしたい。・・・」と記されている。

翌12年8月14日に許可され、「児玉将軍屋敷跡」に流造の本殿と拝殿が創建され、昭和8年(1933)5月16日に県社に列せられた。拝殿の「児玉神社」の掲額は、児玉源太郎の長男秀雄の揮毫で、毎年3月10日に例祭が行われている。

境内には「徳山七士碑」、後藤新平の筆による「徳足以懐遠」、児玉源太郎薨去の際の「御沙汰書」、後藤新平の「児玉神社参拝記念碑」、「日本帝国褒章之記」、歌碑「山縣元帥の児玉大将の死を惜しまれたる歌」など児玉源太郎ゆかりの記念碑が多数建立されている。

児玉神社

 

児玉源太郎頌徳碑

 児玉源太郎は、第4代の台湾総督を務めたが、その下で民政局長として辣腕をふるったのが後藤新平である。

この碑には、児玉総督を大変慕っていた後藤新平の揮毫で「徳足以懐遠」と記されている。

礎石からの高さは凡そ四米あり、自然石で威風堂々としていて、周囲には玉垣を巡らしている。

この碑は、大正7年7月に源太郎の13回忌に地元の奉賛会によって、総督ゆかりの屋敷跡に建立されたものである。

児玉源太郎頌徳碑

 

後藤新平参拝記念碑

後藤新平参拝記念碑

山縣有朋の歌碑

山縣有朋の歌碑

児玉源太郎薨去の際の「御沙汰書」

児玉源太郎薨去の際の「御沙汰書」

児玉源太郎薨去の際の「御沙汰書」裏

児玉源太郎薨去の際の「御沙汰書」裏

李登輝寄贈の碑

李登輝寄贈の碑

徳山七士の碑

徳山七士の碑

徳山七士贈従四位の碑

徳山七士贈従四位の碑

左、児玉神社

左、児玉神社

児玉神社前

児玉神社前     2014.1

平成27年9月、以下の写真の如く児玉神社敷地が整備されました。

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公開日:
最終更新日:2017/05/26

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