*

三大夫殉節之碑

三大夫とは、長州藩の家老である益田右衛門介親施・国司信濃親相・福原越後元僴の3人のことである。幕末の動乱の時、攘夷を主張する長州藩は、突然に堺町御門の警衛を解かれ、京都を追われた。文久3年(1863)のことである。(8月18日の政変)

翌、元治元年(1864)年、長州藩は勢力の挽回をはかり、三家老が指揮して京都へ出兵したが、会津、薩摩藩に敗れる。(禁門の変、または蛤御門の変)

藩内では幕府に対する恭順派(俗論派)の勢いが強くなり主戦派(正義派)の三家老は禁門の変の責任をとらされ、徳山に幽閉され切腹を命じられる。益田右衛門介親施は須佐において内訌事件が起きるが正義派は叶わず、徳山・惣持院にて切腹。国司信濃親相は徳山・澄泉寺にて切腹。福原越後元僴は徳山の人で、ときの徳山藩主毛利元蕃の兄である。徳山で自害させるのはしのびないということで岩国に送られ、切腹となった。

この碑は、三家老の殉節を称え、昭和15年(1940)に建てられた。その地は、今、徳山動物園の敷地内となっている。

1

 

2

 

3


公開日:
最終更新日:2014/01/28

no image
徳山毛利家14代就慶氏舞台デビュー!

毛利就慶氏のFacebookより。 よく似合って、カッコいいですね‼

→もっと見る

  • info@tokuyamahan.com
PAGE TOP ↑