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国司親相幽閉賜剣之地

国司親相は長州藩の家老で、尊王攘夷の大義を唱えた幕末の志士の一人である。

文久3年(1863)8月18日の政変で京都を追われた長州藩は、翌年、元治元年に親相ら3人の家老が指揮して京都に攻めのぼった。しかし、蛤御門の変で大敗し、再び京都を追われた。

幕府は長州藩に、この変の責任を問い謝罪を求めた。そのために藩では親相をはじめ益田親施・福原元僴の三家老をそれぞれ支藩の徳山藩に幽閉し自刃を命じた。

親相は大成寺の末寺であった澄泉寺にて自刃した。若干23歳であった。

その辞世の句は、

飛鳥川 きのうにかわる 世の中の うき瀬に立つは 我身なりけり

(周南市教育委員会)

現在石碑は、毛利家菩提寺であった大成寺の前の大成寺橋を渡った御弓丁公園の中に建っている。

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公開日:
最終更新日:2014/08/17

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