旧藩鐘楼跡
初代藩主毛利就隆は慶安3年(1650)地名を徳山と定め、城下町をつくって家中屋敷の西北、鐘楼町の北東の川端に、鐘撞堂をつくり万治元年(1658)9月10日の卯の刻(午前6時)に時鐘の撞き初めを行った。
以来廃藩まで、数度、鋳替えしたが、徳山藩政200余年にわたって城下に時を告げるとともに、有事の際に利用した。
廃藩後、徳応寺に所有された時鐘は、第2次世界大戦の際に、第1回目の供出を免除されたものの、時の流れには逆らえず、ついに銘文のみを残して供出された。
(周南市教育委員会)
石碑は花畠町の新堀自治会館の前に建てられている。
左前方は徳山高等学校
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最終更新日:2014/08/17