吉田松陰・寺嶋忠三郎訣別の地
安政6年(1859)5月、吉田松陰は江戸に送られることになり、25日檻輿は萩を発し小郡を経て山陽道を東進し、高水村を通過した。忠三郎は、当時、高水におり、呼坂に於いて師と無言の別れを告げた場所である。
(周南市教育委員会)
当地には訣別の地の石碑とともに、吉田松陰と寺島忠三郎の歌を刻んだ石碑が建てられている。
かりそめの 今日の別れは幸なりき ものをも言はば 思いましなん 松陰
よそに見て 別れゆくだに 悲しさを 言にも出でば 思いみだれん 忠三郎
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最終更新日:2014/08/17