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興譲館第五代教授 本城素堂

<文政8年(1825) ― 慶応元年(1865)1月14日 享年41歳>

江村忠韶の二男で、名は斐、字は仲章、通称を清という。外叔本城太仲(鳴鳳館第4代教授)の養子となって本城の姓を称した。弘化元年(1844)藩主元蕃の近侍となり、従い江戸に往来すること数度、安政元年(1854)に興譲館の訓導役となり、ついで在職のまま江戸に出て安積艮斎の門に入った。数月ならずして塾長にあげられ、同4年(1857)正月国に帰った。同、6年(1859)弟彦之進と共に九州を遊歴し、万延元年(1860)に世子元功の近侍を兼ねた。文久3年(1863)の藩政改革を機に両人役に転じ、学館の教授を兼任したが、後、更に代官役に転じた。元治元年(1864)8月11日、俗論党の為に職を奪われ、学館内に幽せられた。ついで浜崎の獄に下り、翌、慶応元年正月14日に殺された。明治31年、生前の功をもって従四位を追贈された。(徳山市史上)


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