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興譲館第四代教授 桜井魁園

<文化11年(1814) ― 明治2年(1869)4月1日 享年56歳>

名は武雄、字は小洗、通称は初め市之助といい、のちに儇右衛門と改めた。幼時から読書を好み、ことに神典及び国史に通じ、和歌を善くした。天保14年(1843)12月朔日に助訓役となり、弘化2年(1845)9月28日に訓導役、嘉永4年(1851)5月23日に助教授役取計、安政元年閏7月朔日に教授役取計、安政3年(1856)8月28日に御蔵本両人役になった。学職にあること20余年、政務に参すること8年、享年56歳で没した。

魁園はかつて藩命をもって京都に赴き、春日潜庵及び二条派の加茂李季鷹の門人の四天王の一人松田直兄の門に入って和漢の学を修めた。直兄は加茂社の神官で号を藤園という。学館に初めて国学科を置いたのは、嘉永4年8月17日、魁園に国書授方を命じたことによる。遺書に「秋園集」(明治32年刊、矢嶋作郎編)がある。秋園は魁園の別号である。(徳山市史上)


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