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興譲館第三代教授 林芳雲

<文化4年(1807)3月2日 ― 明治10年(1877)1月24日 享年71歳>

通称麓、名を正謙また蕃謙といった。初め長沼采石に学び、ついで岡山の井上達三、二本松の服部半十郎らについて漢学や国学を研究した。嘉永4年(1851)7月3日助教に抜擢せられ、安政元年(1854)閏7月朔日、教授役座取計を命ぜられ、同3年6月まで在任した。常に士風の退廃を嘆き、その作興を念願していたが、ついに北越流の兵法に基づいて大いに練兵の術を講じ、整修陣と称する一流を興し、平時鍛錬の弓馬槍砲などの技を実戦に適合するようにした。これが後の献功隊の基礎となったのである。維新前、徳山領を二つの行政区画に分け、徳山以東を東県、富田以西を西県と称した。芳雲は東県令に任ぜられ、江村純一郎が西県令を勤めた。元治年間、藩主の命を奉じて江戸に使いしたが、たまたま禁門の変が起こって幕府に幽せられ、居ること3年、許されて国に帰った。以後、廃藩置県に至るまで政府及び藩主の側近に仕えて要職を勤め、71歳をもって没した。(徳山市史上)


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