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鳴鳳館第四代教授 本城太華

<安永4年(1775)4月23日 ― 弘化元年(1844)10月29日 享年70歳>

初代教授本城紫巌の長男で、名は訥、通称太仲という。寛政12年(1800)26歳の時に、肥後の熊本に遊び、高木紫溟の門に入った。明年、筑前の亀井南冥の門に転じ、居ること二年、享和2年(1802)に徳山に帰り、翌3年10月、鳴鳳館の句読師兼助訓導役を拝命した。文化3年(1806)江戸に祗役し、翌4年5月に帰国して7月1日また訓導役に就任し、文政3年(1820)助教に進んだ。天保3年(1832)世子広篤(後の元蕃)の侍読となってその信任が厚く、同8年に元蕃の襲封後は大いに優遇せられた。その間、同5年に長沼采石が没した後を受けて教授役座取計となり、同14年12月に及んだ。翌弘化元年(1844)10月29日、70歳の高齢をもって卒した。遺稿十数種がある。

太華は天性闊達至誠、その学問は経史にわたり、最も詩に長じた。職を学館に奉ずること40余年の長きにわたって倦まず、教学の刷新に力を注ぎ、また後進を指導し、門下の諸生から敬愛せられた。(徳山市史上)

本城太華 棟居五石筆

本城太華翁 棟居五石筆 (周南市中央図書館蔵)

本城太華

本城太華書 (周南市中央図書館蔵)


公開日:
最終更新日:2014/01/29

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