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鳴鳳館第二代教授 役藍泉

<宝暦元年(1751) ― 文化6年(1809)9月28日 享年57歳>

本姓は島田氏、役小角の法系を継ぎ、宗祖の「役」を冠して役観と称した。徳山に生れ、博学多才で詩文に長じた。平生三綱を設けて自ら戒めた。すなわち一に言行、二に経済、三に事業である。もってその人物を見るべきである。若くして国冨鳳山、滝鶴台に師事した。鳴鳳館の創立と同時に、本城紫厳と共に学政をつかさどり、紫厳の没後は学館を主宰した。文化5年(1808)主命を奉じて新たに「徳府学範」一篇を草し、鳴鳳館の一層の刷新を図ったが、翌6年(1809)9月28日、57歳で没した。遺著に「藍泉文集」「藍泉一家言」「大道公論」「学範」「藍泉新語」「藍泉漫筆」「藍泉詩集」などがある。

藍泉の詩文に長じていたことは、恐らく徳山文学界の第一人者であったろう。亀井昭陽も東に古梁あり、西に藍泉ありと褒めている。その詩社を「幽蘭社」といい多くの人物がいた。林正忠、浅見敏、松岡松陵、桜井玉樹、国冨彦恭、町田淵、松原融らがあり、また晩年には皆川淇園、頼春水らと交わり、亀井昭陽も一時その門に入ったことがある。広瀬淡窓はその著「儒林評」で、

藍泉は修験なり、修験にして文辞ある者古今なし、藍泉一人なり、亀井父子極めてこの人を重んず、昭陽少年のとき山陽に遊び、行きて謁見し、弟子の礼を取れり、これも詩文の風李王を学び、徂徠の説を宗とする故に、亀井は同調相合する者なり、その人は篤実の君子なるべし、

と評している。(徳山市史上)


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