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興譲館第二代教授 飯田竹塢

<文化9年(1812)9月13日 ― 明治26年(1893)12月30日 享年82歳>

名は蕃俊、通称一郎左衛門、徳山に生れる。早く阿波に遊んで柴野碧海の門に入り、碧海の没後はしばらく南海鎮西の各地を遊歴した。天保9年(1836)吉村秋陽について陽明学を学んだが、翌10年の春徳山に帰り、2月24日に訓導役に就任した。同11年、在職のまま江戸に出て昌平校に入り、佐藤一斎に師事した。同14年帰蕃して助教授、嘉永元年(1848)に教授役座取計となり、以来、御蔵本評定役、大目付などを歴任したが、文久3年(1863)2月25日に故あってその職を免ぜられ、蟄居謹慎を命ぜられた。慶応元年(1865)許されて再び評定役となり、学館の教授を兼ね、翌2年には広島に使いして幕吏との応接に労した。明治元年(1868)11月、藩治職制の改革によって参政となり、2年4月教授役に任じ、後、権大参事に栄進した。3年4月、上京して集議院に出仕を命ぜられ、同年11月宣教師を兼ねた。廃藩後は旧藩主毛利家の家令を務め、ついで居を尾張に移して生徒に教授すること10年、明治19年に家に帰って悠々自適した。82歳の高齢をもって没した。(徳山藩史上)


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徳山毛利家14代就慶氏舞台デビュー!

毛利就慶氏のFacebookより。 よく似合って、カッコいいですね‼

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