早乙女之碑
徳山・久米ヶ瀬戸の早乙女松は悲しい伝説である。
昔(年代不詳)、田植えの頃になると「早苗打ち」といって、縁起をかついで道を通る人に早苗を投げかけて祝儀をもらう風習があった。早苗は投げても根を下にして立つという縁起のいい意味があったという。
ある時、久米ヶ瀬戸の早乙女が、通りかかった飛脚に早苗を投げかけたところ、風習を知らない飛脚は無礼者と早乙女を刺し殺し、その場を立ち去った。
村人たちは殺された早乙女を哀れみ、久米ヶ瀬戸に松を植え、懇ろに弔い供養し、この松を「早乙女の松」と言った。しかし、その松は皮を剥ぐと怨念からか血が出るといって恐れられたという言い伝えがある。
昭和11年(1936)、松本良一県会議員夫人静子氏によって、現地に「早乙女之碑」が建てられたが、現在は遠石八幡宮東の(一の鳥居と二の鳥居の間の右手に入る細い道を入る)千日寺境内のあった地に移されている。
「早乙女之碑」は一番右奥にある
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