杉氏屋敷跡
中世の徳山は野上庄といわれ、しばらくの間、陶氏がこの地方を治めていた。14世紀になると、陶弘政の有力な家人である野上氏が配置され、陶氏の重臣として活躍したという。
弘治元年(1555)10月、陶晴賢の厳島での敗死に端を発し、陶氏が滅ぶと野上氏も運命をともにした。野上氏が滅ぶと杉元相がかわって野上を支配した。元相は金剛山下の見晴らしのいいこの地に居館を構えた。毛利氏に仕え勘解由判官と称し興元寺を建立したが、その子元宣は天正17年(1589)野上庄沖で横死し、杉氏はわずか20数年で断絶した。
(周南市教育委員会)
杉家屋敷跡の石碑は、徳山動物園の前の駐車場の歩道に建っている。
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最終更新日:2014/08/17