*

旧藩台場跡

アメリカの黒船が浦賀にやって来てから、通商か、それとも攘夷かと、いろいろ論議が高くなり騒動しくなっていった。しかし結局、攘夷論が強く文久3年(1863)には最高潮に達し、そのため4月には、いよいよ5月10日を期して外国船打ち払いとの勅令が下された。この攘夷論を主唱したのが、わが長州藩であった。

そこで徳山藩では海上の防備のために大砲の鋳造を計画し、金具類の供出を命じ、また、海岸の熊野権現の森には砲台場が築造された。

この台場跡は、後には相撲場になっていたが、これより南へ100mのところに、高い土手を廻した円形の広い窪地として遺っていた。台場はこの外に那智・大津島にも構築されたとある。

この標石は、新幹線工事の時に古い標石が破損したので、地元の有志によって新しく建立されたものである。

(周南市教育委員会)

権現町の熊野神社の向かい側の歩道に建っている。

1

 

2


公開日:
最終更新日:2014/01/18

no image
徳山毛利家14代就慶氏舞台デビュー!

毛利就慶氏のFacebookより。 よく似合って、カッコいいですね‼

→もっと見る

  • info@tokuyamahan.com
PAGE TOP ↑