湯野温泉/金の仏像と武家屋敷
湯野温泉
夜市川の上流、山紫水明な環境にあり、豊かな自然と山海の幸に恵まれた温泉郷。
春から夏には河川の遊歩道の散策、秋には紅葉狩り、そして冬にはふぐ料理や鴨料理など、一年を通じて楽しむことが出来る。
地域内には、夏目漱石の小説「坊っちゃん」のモデルとなった地元出身の弘中又一を記念した記念公園や、県指定文化財の山田家本屋、金の仏像がある楞厳寺などがある。
天正年間戦国の頃、河村三五兵衛という人が朝晩湯気が立ち上り、冬には雪解けの早い所があり不思議に思い、岩を穿って掘り進んでいたある夜、夢に薬師如来が現れて「この土の底に埋もれている仏を掘り出してお祀りせよ、温泉が湧き出て繁盛するであろう」とのお告げを受け、なお掘り続けるうちに、燦然と輝く薬師如来が温泉とともに現れたという。
また、その昔、神功皇后が周防灘を航海中、嵐に遭い、戸田四郎ヶ谷港に上陸、その時、熱を出した皇子を温泉で治療したという伝説もある。
【泉 質】 含弱放射能-アルカリ性硫黄温泉(ラジウム含有量は国内第2位)
【効 能】 神経痛、高血圧症、通風、慢性皮膚病、慢性婦人病、糖尿病、切り傷
【宿泊施設数】 4軒 国民宿舎湯野荘 紫水園 芳山園 若武旅館
【アクセス】 ○JR山陽本線徳山駅からバスで30分 「湯野温泉」下車 ○山陽自動車道徳山西ICから5分
足湯
平成25年7月1日にリニューアルオープンしました。この足湯は、源泉水を加熱したものを、直接掛け流しています。
【利用料金】 無料
【利用時間】 午前10時から午後4時30分(月曜日を除く)
【設置場所】 「山田家本屋」駐車場
山田家本屋
山田氏は江戸時代に萩藩の重臣・堅田氏の家臣を勤めました。
その在郷住居である山田家本屋は江戸時代中期の建築といわれ、かつては戸田の山陽道沿い、湯野温泉入口の西に位置していました。茅葺平屋建で約82坪、15部屋余りの広さがありましたが、昭和39年6月に徳山市に寄贈され毛利町に移築、6割が復元されました。
その後、周南地域の市・町が要望した県総合庁舎の建て替えに伴い、堅田家の所領としての地縁等の諸条件を勘案して、湯野へ移築復元することになりました。平成12年に解体した後、平成15年9月に移築復元され、10月4日から一般公開されています。
建物は中門造といわれる様式で、脇床吊棚の襖絵は江戸後期の徳山藩お抱え絵師朝倉南陵が描いたもので、下部は隠し引出しになっています。他にも外からは開かない回転式雨戸、中二階の隠し部屋、台所の筵天井など各所に工夫をこらした造りが見られます。
幕末には萩藩主・毛利敬親をはじめ、村田清風、中山三屋などの勤皇の志士が立ち寄ったといわれ、歴史を今に伝えています。
(周南市文化スポーツ課)
楞厳寺
楞厳寺は、永正年間(1504~1521)に創建されたと伝えられています。
当寺が所有する金造菩薩形座像は、嘉永6年(1853)に村人が楞厳寺裏山で土中から発見し、当寺に奉納したものと言われています。この金仏は、高さ4センチほどの結跏趺坐像で、平安時代に鋳造されたものと考えられています。
また出土の経緯を記した記録(日尾山土中出現黄金像正観世音縁記)や出土した地点(日尾山山頂黄金像出土地石碑)も残っている貴重なものであり、昭和62年に県指定文化財(彫刻)に指定されました。
(周南市教育委員会)
松田好松によって発見され、楞厳寺十五世貫之大和尚時代、領主堅田八代就正公が楞厳寺にて供養した。御開帳には盛大な供養があったとされ、現在は楞厳寺二十二世田中康道住職のもと、毎月17日に拝観できる。
まるごと周南2010年9月号 (シティーケーブル周南/ザメディアジョン提供)
明治38年建立の本堂
昭和24年建立の鐘楼堂
明治38年建立当時の本堂の大内菱大鬼瓦一対
鐘楼堂
楞厳寺十九世英山泰俊大和尚 頌徳碑
観音岳登山道入り口 (山門をくぐった左にある)
釣りをする坊ちゃん
夏目漱石「坊ちゃん」のモデル 弘中又一
弘中又一は、明治6年湯野村後山に生れ、湯野小学校を卒業している。中学校教員の免許を得て22歳の時、松山尋常中学校に赴任し、ここで英語教員として赴任していた夏目漱石と出会ったのである。
「一体、夏目はまめな男でそこいら手あたり次第、遠慮えしゃくもなくモデルに失敬している。坊ちゃんにしても夏目自身でもあるし僕のことでもある。夏目と僕は毎日の出来事やら、失策を互いに話合い、笑い興ずることが多かった。」(弘中又一の回想録より)
夜市川のほとり
公開日:
最終更新日:2021/02/11