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101歳の作家 秋原勝二氏

秋原勝二

秋原勝二さん(自宅にて、2010年)

秋原勝二氏プロフィール

訃報
秋原勝二さんは、2015年4月17日天寿を全うされました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
以下の記事は2014年10月4日に編集したものです。

大正2年(1913)、福島生まれ。本名は、渡辺淳。現在、満101歳。

今なお、旺盛な創作活動のかたわら、創刊82年の文学同人誌『作文』の編集、刊行を続けている。

昭和7年(1932)に戦前の旧満洲(中国東北部)大連で創刊され、戦争をはさむ長い中断を経て日本で復刊された『作文』が今年、第208集を刊行した。編集発行人は、第2集から参加する元満鉄職員の秋原勝二氏。 【註】満鉄(南満州鉄道株式会社)

幼くして両親を亡くし7歳のとき、満鉄社員と結婚した姉を頼り1920年に満洲へ渡る。昭和5年(1930)10月満鉄入社。

昭和7年12月『作文』第2輯より参加。以降『作文』同人として正業の傍ら文学に従事する。

デビュー作は、満18歳で書き上げた「孝行者」(1932年)。7歳で渡った満洲と故郷・日本本土の間でゆれうごく望郷の念、その故郷をめぐって錯綜する思いを描いた問題作「夜の話」(1937年)、終戦直後の混乱する満洲を活写する「李という無頼漢」(1965年)、そして著者・96歳のときに、力作「飯田橋の夜半」(2009年)を発表。「故郷喪失」という主題を軸に80年余り書き続けてきた、秋原勝二の代表的な作品である。随筆「故郷喪失」は話題となり、また小説「暮鼓」は青野季吉、宇野浩二、武田麟太郎らの審議をうけ、特に青野に強く評価された。

昭和21年(1946)9月日本に引き揚げ、1964年8月『作文』復刊に参加。

秋原氏は現在も『作文』を主宰し、小説、評論に健筆をふるう。連載「満洲時代の『作文』」は200集で最終回を迎えた。執筆のテーマは故郷喪失、「それがどんなに痛いことか」と秋原氏は語る。

 2度、故郷を失った。7歳のとき父に続いて母が死に、兄に連れられ長姉を頼って福島から満洲に渡った。満鉄の育成学校にすすみ、誘われて『作文』に参加した。

満洲で生まれた日本人女性と結婚、自分の故郷と思い定めた土地を、敗戦により命がけで後にせざるをえなかった。

 自分たちが懸命に働き、仲間と文学論をたたかわせた当時の満洲と、戦後流布した「満洲国」のイメージとの落差は大きかった。「なぜ我々はこんなに嫌われ、継子にされるんじゃろう。そう思っていろいろ調べ始めました」。
自分の目に映った満洲の姿をこれからも書かなければという思いが、秋原さんに雑誌を続けさせている。(作文編集委員・佐久間文子)

【同人誌 『作文』について】

 同人の多くは満鉄職員で、掲載された小説には文学賞の候補になったり、受賞したりするものもあった。松原一枝さんのようにプロの作家になった人もいる。

 1932年10月、安達義信、青木實、小杉茂樹、町原(島田)幸二、島崎恭爾、落合郁郎、城小碓の七名が大連において合議、『文学』名で創刊。1933年4月第3輯より『作文』と改題する。

1935年12月第16輯で『一家』と改題されるが、第17輯より再び『作文』に戻す。1942年12月、第55輯で発行所を大連から奉天に移すが、戦時統制により終刊となる。創刊時の二百部発行が終刊時には二千部であったという。
満洲時期の同人には先述の発足メンバーのほかに下記の人々がいる。

秋原勝二、竹内正一、池淵鈴江、井上郷、大谷健夫、坂井艶司、富田寿、古川賢一郎、古屋重芳、松原一枝、三宅豊子、吉野治夫、日向伸夫、佐々木勝造、高木恭造、宮井一郎、日下熈、上野凌?、中山美之、加納三郎、野川隆、宮川靖、植村敏夫、木崎龍、麻生錬太郎、長谷川濬、瀧口武士、長尾辰夫、浅川淑彦(麻川透)。

敗戦で同人の大半は帰国したが、本や雑誌は持ち帰れず、満洲で発行された55号のうち現品が確認されているのは、内地の知人に送って保管されていたものなどわずかに17号ぶんしかない。

 

生活がようやく落ち着いてきた同人が連絡を取り合い、昭和39年(1964)8月に復刊第1集が刊行された。中心にいたのは、満鉄図書館から国会図書館勤務となっていた青木実さん。青木さんが亡くなり、後を継いだ同人も亡くなって、今は秋原氏がひとりで原稿整理から発送までを手がけている。

第6集を満洲時期を含めた第59集と表わし、以降その号数標記に則るが、通算に誤りがあり復刊第20集より訂正された。1997年9月第166集より秋原勝二氏が単独編集。2004年1月第185集発行。

 200集は記念号で、『作文』同人だった長谷川濬(しゅん)が畦川瞬造名で学生時代に書いた最初の小説が大島幹雄氏により発掘、掲載されている。長谷川濬は、林不忘、牧逸馬などの筆名をもつ作家の長谷川海太郎、画家の二郎、作家の四郎の長谷川4兄弟の三男にあたる詩人・作家だ。

 芥川賞候補にもなった吉田紗美子さん(清明の俳人・兼崎地橙孫の長女)を追悼する記事も載っている。

この『作文』は今から3年前の2011年から、「夜の話」(秋原勝二著)と共に、全国に紹介され話題となっている。毎日・朝日・読売・日本経済・産経の各紙、共同通信による地方紙十数紙、テレビその他でも紹介された。秋原氏は、『満洲創刊以来の小誌未曾有のこと。深く感謝し、御礼申し上げます。』と喜びを語った。

百歳の作家・秋原勝二、満洲日本語文学を書きついで80年。その真摯な姿には、心より尊敬の念を抱く。

 

注:「満洲」時代は「輯」、復刊後は「集」を用いている。

【小説「沢瀉の紋章の影に」(吉田紗美子著)と秋原勝二氏】

秋原勝二氏は、『作文』の中で次のように思いを述べている。

吉田紗美子は生前、多くの良い作品を書いて何冊もの小説集を出せるのに、一冊も出していない。殊に昭和34年下半期第42回の芥川賞に候補作となった「感情のウェイヴ」(『素直』誌第8号所載)、昭和60年3月に放送文学賞を受賞した「沢瀉の紋章の影に」の二作は、作者畢生の作とみられる力作。

吉田紗美子の作品には、大きく分けて「身辺もの」、「俳人もの」、「幕末長州藩もの」の三つの傾向がある。この度、『作文』第204~208集にかけて掲載したのは長州藩ものの雄篇「沢瀉の紋章の影に」である。40頁前後の連載で3年を要し、非常に手もかかったが、その労を厭わない充実した力量。密度の濃いこの長編を当誌に記録できるのは嬉しい。幸い、私の体力が持続し完結まで運べたのは、故同人吉田紗美子への、せめてもの贈り物となる、を喜ぶ。

思いはただ一つ、公表して、多くの人の眼にふれるよう、その下地を作る願いである。

 この作品の最後の方に、若き日の児玉源太郎がチラリと出てくる。後年、西南の役で西郷隆盛の薩摩軍が熊本鎮台の熊本城を包囲攻撃したとき、守将谷干城の許、死守

の指揮をとった児玉が、日露戦争では満洲派遣軍の総参謀長を務め日本に戦勝をもたらした軍略家であるのは多くの人の知るところ。

 児玉が満洲の日本政府代行機関としての満鉄の、初代総裁に後藤新平を推した満洲との深い因縁は、今につながる琴線。

 後藤新平の満鉄経営の心には、児玉源太郎の熱い血もつながっている。この連想は、私の全身をあたためる。

                                                   以上


公開日:
最終更新日:2019/01/17

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