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興譲館初代教授 福間青海

<文化10年(1813) ― 安政元年(1854)9月12日 享年42歳>

名を舜欽、通称左衛門という。少壮にして肥後の辛島塩井に学んだ。塩井は熊本時習館の教授で程朱の学を奉じ、碑史、野史にも博く通じていた。その名声は藩の内外に聞こえ、一時は教えを乞うもの、他藩の人のみでも300人を数えたといわれる。

嘉永4年(1851)6月、小川乾山の後を受けて鳴鳳館の教授となり、館名の変更後もそのままとどまって興譲館の初代教授となった。当職粟屋大炊、粟屋采雄、小川乾山、飯田竹塢らとは不和であったが、国元当職福間刑馬とは合い許す仲であり、本城清、江村彦之進らとも善かった。その教授となるや、文学寮を増築し、あるいは釈菜を盛んにして老年者、孝子を賑恤旌表し、あるいは留学生を諸藩に派遣するなど、しきりに学政を拡張して士気を鼓舞し、その施設の見るべきものが多かったが、財政がこれに伴わないで反対派の乗ずるところとなり、安政元年(1854)7月、厳譴を被って同年9月12日幽閉中に没した。(徳山市史)


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最終更新日:2024/03/17

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