江村五郎左衛門
江村五郎左衛門安清。五郎左衛門は江村家の祖であり、孫娘は本城家の祖となった本城大助光時に嫁いだ。
寛永14年(1637)に勃発した島原の乱は、原城に立てこもった少年天草四郎率いる反乱軍と幕府の間に起った、歴史上最大の一揆といわれている。江村五郎左衛門はその際、徳山藩から隊長として出兵、本丸へ率先して乗り込み、首二級を取る。藩祖毛利就隆は禄百石加増し、賞したという。
一方、天草四郎は無惨な最後を遂げる。戦いのあった原城跡には、いまだ無数の人骨が埋まっている。戦争とは残酷なものである。長崎の教会群とキリスト教関連遺産、そして原城跡は、世界遺産登録にむけて整備の真っ最中である。(2014年記す)
五郎左衛門は第6代徳山町長であった江村忠精(分家して第7代。墓には五郎左衛門から数えて第7代の孫となっている)が建立した江村家墓地に、殉難七士の江村彦之進とともに大切に祀られている。慶安3年(1650)9月12日卒。
向かって左前の『風月江村君墓』が江村彦之進の墓 その後が五郎左衛門の墓
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最終更新日:2024/03/09