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第八代藩主 毛利広鎮

八代・毛利広鎮像

徳山毛利家蔵・周南市美術博物館寄託

第八代藩主 毛利広鎮 <1777 – 1865>

第七代藩主就馴の二男である。安永6年(1777)9月21日に江戸の今井谷邸に生れ、幼名を徳太郎といった。天明4年(1784)6月10日、就寿と称し、寛政8年(1796)4月5日、通称を兵庫と改めた。兄の房純が早く宇部邑主福原就清の養嗣子となったので、寛政9年9月24日、父就馴の譲りを受けて家督を相続した。同年12月18日、従五位下に叙し、大和守に任じ、文政12年(1829)5月15日の名を広鎮と改め、10月11日さらに日向守に任じた。

広鎮は藩政を執ること41年、その間、藩の財政には一張一弛があって、その経理に最も苦心したが、よく意を治民に用い、文武を奨励して倦まなかった。幕府は広鎮の長年にわたる勤労を認め、天保7年(1836)4月27日、宗藩主斉元の内願を入れて、徳山藩の格式を城主格に進め、かつ従来宗家から文封の公称石高三万石を改めて四万十石とすることを認証した。翌8年(1837)12月7日、家督を元蕃に譲り、同9年(1838)2月26日、兵庫頭と改称したが、慶応元年(1865)12月16日に徳山邸で卒した。享年89。法名を承天院広州鎮裔大居士という。(徳山市史上)


公開日:
最終更新日:2024/04/19

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