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第二代藩主 元賢

二代・毛利元賢像

徳山毛利家蔵・周南市美術博物館寄託

第二代藩主 毛利元賢 <1670-1690>

元賢は幼名を元丸、また元隆と称し、延宝7年(1679)10月10日に元賢と改名。この年8月8日に父の就隆が卒し、10月13日に家督を相続する。なれど元賢は10歳の幼少にて、桂民部、神村将監、粟屋杢らが相次いで当職となり、藩政を補佐した。貞享2年(1685)7月晦日、元服して式部と称し、同4年6月初めて徳山に帰り、10月領内を巡視。翌元禄元年(1688)4月、江戸に参勤し、10月26日に従五位下に叙し、日向守に任じた。同3年5月、重患にかかったが、実子がなかったので兄の元次を養嗣子と定める。同21日、江戸三田の藩邸にて卒す。享年21。徳山大成寺の墓地に葬り、法名は大陽院玉峰澄和大居士。(徳山市史上)


公開日:
最終更新日:2024/04/06

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